たくりんのマンガと映画とドラマの話

漫画とアニメとドラマ大好きおじさん

ラピュタの雷の威力ってどれくらい? ――数字じゃ測れん凄さを、おじさんがのんびり語るで

子どもの頃は「すごい雷やなぁ」で終わってた話

天空の城ラピュタ』を初めて観たとき、 雷の場面はとにかくインパクト抜群やった。 光って、響いて、世界が一変する。

子どもの頃はな、 「うわ、強っ!」 「なんやこの威力!」 それだけで十分やったと思う。

でもな、おじさんみたいな年齢になってから観返すと、 あの雷の凄さって、 派手さや爆発力やないところにあるって気づくんよ。


数字で測ろうとした時点で負けてる雷

ようあるやろ? 「どれくらいの威力なん?」 「爆弾に例えたらどのレベル?」

せやけどな、 ラピュタの雷を数字で測ろうとするのは、 ちょっと野暮やと思うんよ。

あの雷は、 どれだけ壊せるかを見せるためのもんやなく、 どこで止めるかを描くための雷やからな。

これ、歳取ってからやと ほんまによく分かる。


雷の本当の威力は「制御されていること」

もしラピュタの雷が、 感情のまま、力のままに放たれてたら、 あの世界はどうなってたやろな。

想像しただけでも、 ちょっと怖い。

でも実際の雷は、 ちゃんと“終わり”がある。

ここがな、 この雷の一番すごいところやと思う。

強い力ほど、 止めるのが難しい。

それをちゃんと止められる。 それが威力や。


見ていて不思議と心が荒れへん理由

普通、 雷とか破壊の描写って、 観たあとにザワザワするもんや。

でもラピュタの雷は違う。

ドーンとした迫力はあるのに、 観終わると心が静かになる。

それはな、 怒りや憎しみをぶつける雷やないからやと思う。

必要な役割を終えたら、 静かに消えていく。

この後味の良さが、 おじさん世代にはたまらんのよ。


いかづちと雷は「破壊」より「区切り」

ラピュタの雷やいかづちは、 何かを始める合図やなく、 ここで終わらせるための力や。

これな、 人生経験積んできた人ほど刺さると思う。

若いころは、 始める力ばっかり評価される。

でもな、 終わらせる力、 手放す力の方が、 よっぽど難しい。

ラピュタの雷は、 そこをちゃんと描いてる。


おじさんが思う「本当に壊されたもの」

雷で壊れたのは、 建物や仕組みだけやない。

おじさんはな、 あの雷で一番壊されたんは、 人の中にあった傲慢さやと思ってる。

力があれば何でもできる。 正しいのは自分や。

そんな気持ちを、 一回リセットするための雷。

だからこそ、 後味が優しいんやと思う。


威力とは「壊せる量」やなく「守れたもの」

もし雷の威力を測るなら、

・何を壊したか ・どれだけ残せたか

この二つで考えたい。

ラピュタの雷は、 全部を壊さなかった。

守るべきものを、 ちゃんと守った。

それができた時点で、 この雷の威力は、 もう十分すぎるほどやと思う。


大人になってから分かる「引く強さ」

若い頃はな、

・最後までやり切る ・全部出し切る ・引いたら負け

そんな価値観もあった。

でも今はどうや?

「あ、ここまででええな」

そう判断できる方が、 よっぽど強い。

ラピュタの雷は、 まさにその象徴や。


雷のあとに残る静けさが教えてくれること

雷が去ったあと、 世界は静かになる。

この“静けさ”こそが、 雷の本当の仕事やったんやと思う。

音を消すために鳴った雷。

そう考えると、 なんや不思議やけど、 しっくり来るやろ?


まとめ:数字では語れん威力が、ここにある

ラピュタの雷の威力は、

・派手さ ・破壊力 ・規模

こういうもんやない。

止まれたこと 終わらせられたこと 守る選択ができたこと

これ全部含めての威力や。

数字では測れへん。

せやけど、 人生経験を重ねた人ほど、 この雷の凄さは、 ちゃんと伝わる。

何回観ても、 年齢ごとに意味が変わる雷。

それが、 ラピュタが今も語られ続ける理由なんやと、 おじさんは思うで。