たくりんのマンガと映画とドラマの話

漫画とアニメとドラマ大好きおじさん

ラピュタの意味がわからん…それ、実はめっちゃ普通やで ――おじさんが丁寧にほどく「わからなさ」の正体

ラピュタ、名作って言われてるけど、
 正直、意味ようわからんかった」

これな、
ほんまによく聞く話や。

空飛ぶ城は出てくるし、
ロボット兵はおるし、
雷みたいな力もある。

でも最後どういうこと?
結局ラピュタって何やったん?
何を伝えたかったん?

安心してええ。
それ、あなただけちゃう

今日はな、
ラピュタの「意味わからん」を
おっちゃんが一個ずつ、
ゆっくりほどいていくで。


まず結論から言うとな

ラピュタは「一つの答え」を用意してへん映画や

これが一番大事なとこ。

ラピュタって、
「これが正解です!」
って映画やない。

むしろ逆で、

観る人の年齢、立場、人生で
意味が変わる映画

やから、
「わからん」って感想が出るのは
めちゃくちゃ自然なんよ。


ラピュタって、そもそも何の話なん?

表面だけ見ると、こうや。

  • 空に浮かぶ伝説の城

  • それを巡る争い

  • 少年と少女の冒険

ここまでは王道やな。

でもな、
その奥にあるのは

「力を持った文明が、なぜ滅びたのか」

って話なんよ。

つまりラピュタ
ファンタジーの顔した
文明の反省会みたいなもんや。


「意味わからん」と感じるポイント①

ラピュタは強すぎるのに、ほとんど使われない

これ、よう言われる。

「え?
 あんな力あるなら、
 なんで全部使わへんの?」

答えはシンプルでな。

使わへんこと自体が、物語のテーマやから。

力を持った瞬間に、
それをどう使うかが問われる。

ラピュタ
「使える力」を描いてるんやなくて、
**「使わなかった選択」**を描いてる。

ここ、子どもの頃は
まず気づかへん。


「意味わからん」と感じるポイント②

ムスカって何がしたかったん?

これも大人になってから
よう考えるとおもろい。

ムスカはな、
世界を壊したかったわけやない。

世界を管理したかった

・空から見下ろす
・選ぶ側に立つ
・支配ではなく「統制」

これ、めちゃくちゃ現代的やと思わん?

だからこそ、
物語の中では
「倒すべき存在」になった。


「意味わからん」と感じるポイント③

ラストでラピュタが崩れる理由

「せっかく見つけたのに、
 なんで壊すん?」

これもな、
答えは一個や。

残したら、また誰かが使うから

ラピュタ
美しいけど、
危険すぎる。

だから
「誰の手にも渡らへん形」で
終わらせた。

あれは破壊やなくて、
整理や。


じゃあ、ラピュタは何を伝えたかったん?

おっちゃん的にまとめると、これや。

  • 力は、持つより選び方が大事

  • 文明は便利やけど、万能やない

  • 小さな暮らしのほうが、幸せなこともある

  • 空から見下ろすより、隣に立つほうがええ

全部、
説教くさく言わへん。

だから
「意味わからんけど、なんか残る」
になる。


年代別に、ラピュタの意味は変わる

これも大事な視点や。

子どもの頃

→ 冒険が楽しい
→ ロボット兵かっこええ

若い頃

→ シータとパズーの関係が気になる
→ 自由とか夢に憧れる

おっちゃん世代

→ 小さな家
→ 働くこと
→ 力を使わない選択

これ、全部正解。

意味が変わるってことは、
何回でも観られる映画ってことや。


「意味わからん」と思った人へ

無理に理解せんでええ。

考察動画見て、
答え覚えんでもええ。

ただ、

「なんか心に残った」
「また観てもええかも」

それだけで、
ラピュタはもう役目果たしてる。

意味は、
あとからついてくる。

人生と一緒やな。

 

大人になってから、ラピュタで泣けてしまう理由

子どもの頃に観たラピュタは、
正直めちゃくちゃワクワクする映画やった。

空を飛ぶ。
冒険する。
悪いやつを倒す。

それだけで十分やった。

でもな、
大人になってから観ると、
なぜか胸の奥がじわっとしてくる瞬間が増えてくる。

今日はその理由を、
おっちゃん目線で言葉にしてみるで。


理由①「守る側」の視点が増えるから

子どもの頃は、
パズーやシータと一緒に冒険してた。

でも大人になると、
無意識のうちに
ドーラ側の気持ちで観てる自分がおる。

危ない橋を渡らせたくない。
それでも背中を押すしかない。

「行ってこい」
「戻ってこい」

その距離感が、
仕事や家族や人生と
重なってくるんよな。


理由②「力を使わない選択」がわかるようになる

若い頃は、
「力があるなら使えばええやん」
って思ってた。

でも大人になると、
わかってくる。

力を使うほうが、
楽なときもある。
勝てるときもある。

それでも使わへんほうがええ場面が、
人生には山ほどある。

ラピュタのラストで泣けるのは、
強さより、我慢を選んだ瞬間
ちゃんと理解できるようになったからや。


理由③「小さな暮らし」が尊く見えるから

派手な城より、
パズーの家。

世界を変える力より、
毎日の仕事と生活。

若い頃は
夢が小さく見えたもんが、
今は一番大切に思える。

ラピュタを観て泣けるのは、
失った夢やなくて、
今ある日常の尊さに気づくからやと思う。


理由④「取り戻せない時間」を知ってしまったから

子どもは、
時間が無限にある。

大人は、
そうやない。

ラピュタの物語は、
一度失われた文明は戻らへんし、
同じ選択も二度とできへん。

だからこそ、
一瞬一瞬の選択が重くなる。

それがわかる年齢になると、
どうしても泣けてまう。


大人がラピュタで泣くのは、弱くなったからやない

よう勘違いされるけどな。

涙もろくなったのは、
感受性が鈍ったからやない。

むしろ逆で、
背負うもんが増えた証拠や。

わからんかったことが、
わかるようになった。

それだけや。


もし、今ラピュタで泣いてしまったなら

それはたぶん、
ちゃんと生きてきた証や。

理解できるようになった分だけ、
胸に刺さる。

ラピュタは、
年齢を重ねた人に
そっと寄り添ってくる映画やと思う。