「私は本物だよ」が、なぜこんなにも心に残るのか**
アニメ映画『PERFECT BLUE(パーフェクトブルー)』。
この作品を観終わったあと、
なんや頭の奥にずっと残るセリフがあるんよな。
それが、
「私は本物だよ」。
派手な名言というわけでもない。
叫ぶわけでも、泣き崩れるわけでもない。
けど、不思議とこの一言だけが、ずーっと胸に残る。
今日はな、
この「私は本物だよ」という言葉について、
おじさんなりに、ゆっくり噛みしめながら語ってみようと思う。
■ 「私は本物だよ」って、誰に向けた言葉なんやろ?
このセリフ、
誰かに勝ち誇るための言葉ちゃうんよな。
「ほら見ろ、私は正しい」
「間違ってへんやろ?」
そういう感じやない。
どっちか言うと、
自分自身に向かって言うてる言葉に聞こえる。
人ってな、
自分のことが一番わからん生き物やと思うんよ。
周りからは
「あの人はこういう人」
「こうあるべき」
「昔はこうやった」
って、いろんなラベルを貼られる。
それが重なっていくと、
自分でも
「ほんまの自分ってどれや?」
って、わからんようになる。
せやからこそ、
あの場面での「私は本物だよ」は、
やっと自分の足で立てた瞬間の言葉なんやと思う。
■ 変わること=偽物になる、ちゃうで
『PERFECT BLUE』って、
よく「怖い」とか「重たい」って言われること多いけどな、
実はめちゃくちゃ人間くさい映画やと思うんよ。
人は誰でも変わる。
・学生やった人が社会人になる
・独身やった人が家庭を持つ
・昔好きやったことを、今はせえへん
それ全部、普通のことや。
でもな、
変わった瞬間に言われることがある。
「前のほうがよかった」
「らしくない」
「なんか違う」
これ、ようある話やろ?
けどな、
変わったからって、それは偽物になったわけちゃう。
**その時その時の自分は、全部“本物”**なんよ。
「私は本物だよ」って言葉は、
それを静かに肯定してくれる一言やと思う。
■ 誰かの期待に応えすぎんでもええ
この映画を観てて、
しみじみ思うことがある。
人ってな、
知らんうちに「役割」を背負わされてる。
・優しい人
・しっかり者
・ムードメーカー
・頼られる人
ほんで、その役を続けてるうちに、
自分でも
「これが自分なんや」
って思い込んでまう。
でもほんまは、
しんどい日もあるし、
迷う日もあるし、
弱音吐きたい日もある。
そんな時に、
「私は本物だよ」って言葉はな、
無理に誰かの理想にならんでええで
って、そっと肩を叩いてくれる感じがするんよ。
■ 自信満々じゃなくてええねん
このセリフな、
別にキラキラした自己肯定の言葉ちゃう。
「私、完璧です!」
「ブレてません!」
そんな強さはない。
むしろ、
ちょっと疲れてて、
それでも前を向こうとしてる感じ。
せやから余計にリアルで、
心に残る。
自信がなくてもええ。
迷っててもええ。
立ち止まっててもええ。
それでも、
今ここにおる自分は本物。
この映画は、
それを声高に言わんと、
静かに伝えてくるのがええんよな。
■ 「本物」って、誰が決めるんやろ?
これ、よう考えたら不思議な言葉や。
「本物」って、
誰が決めるんやろな?
周りか?
世間か?
過去の自分か?
たぶん違う。
決めるのは、自分だけなんやと思う。
他人がなんぼ言うても、
自分が納得してへんかったら、
それはずっとしんどいままや。
逆に、
自分で「これでええ」って思えたら、
多少不器用でも、遠回りでも、
ちゃんと前に進める。
「私は本物だよ」って言葉は、
その覚悟を決めた瞬間の言葉なんやと思う。
■ 大人になってから、より刺さるセリフ
若い頃はな、
「自分探し」とか言うてても、
どっか余裕がある。
でも歳重ねると、
選んでこなかった道とか、
諦めた夢とか、
いろいろ思い出すやろ。
そんな時にこの映画を観ると、
「私は本物だよ」って言葉が、
なんや優しく響くんよ。
過去がどうやったかやなくて、
今の自分をちゃんと肯定してええんやで
って言われてる気がしてな。
■ まとめ:この一言がくれるもの
『PERFECT BLUE』の
「私は本物だよ」。
この言葉はな、
何かを証明するための言葉やない。
誰かを黙らせるための言葉でもない。
ただ、
自分自身を信じてあげるための言葉や。
変わってもええ。
迷ってもええ。
完璧じゃなくてええ。
それでも、
今ここにおる自分は、ちゃんと本物。
そう思えた時、
ちょっとだけ背筋が伸びて、
また一歩、前に進める。
この映画が長く愛される理由、
たぶんそこにあるんやと思うで。
【追記】今の時代やからこそ「私は本物だよ」が響く理由
このセリフな、
1998年の映画の言葉やのに、
なんで今こんなに胸にくるんやろって思わへん?
それには、ちゃんと理由がある。
■ 「見られる時代」を生きてるからやと思う
今の時代な、
誰もがどこかで「見られてる」。
SNS、コメント、評価、いいね。
別に悪いもんやないけど、
知らんうちに
「どう見られてるか」を気にする時間が増えてる。
ほんで気づいたら、
・これ言うたらどう思われるやろ
・前の自分と違うって言われへんかな
・キャラ崩れたらあかんかな
って、
自分で自分を縛ってまうこと、あるやろ?
そんな時にやで、
「私は本物だよ」って言葉が出てくる。
これ、めちゃくちゃシンプルやけど、
今の時代には逆に強い言葉やと思う。
■ 変わることを怖がらんでええって言うてくれる
今ってな、
一度決めたイメージから外れるのが怖い時代や。
昔と違う選択すると、
すぐ比べられるし、
説明も求められる。
でも人は変わるもんやし、
変わらんほうが不自然や。
「私は本物だよ」って言葉は、
変わった今の自分にも、ちゃんと価値がある
って教えてくれる。
昔の自分に勝たんでもええ。
昨日の自分を否定せんでもええ。
今の自分をちゃんと生きてたら、それでええ。
■ 正解を探しすぎんでもええ時代に
情報が多すぎる今、
「正解」はいくらでも転がってる。
でもな、
正解が多いほど、
自分の感覚がわからんようになる。
そんな時にこのセリフはな、
「正解かどうかより、
自分で納得してるかどうかやで」
って言うてくれてる気がする。
派手な自己主張やない。
静かやけど、芯がある。
それが今の時代に、ちょうどええんやと思う。
■ まとめ:静かな自己肯定が、今いちばん必要やから
「私は本物だよ」。
この言葉は、
誰かに認められるための言葉やない。
自分で自分を見失わんための、
小さな灯りみたいな言葉や。
騒がしい時代やからこそ、
こういう静かな一言が、
心の奥まで届く。
たぶんこの映画が今も語られるのは、
時代が進んだんやなくて、
この言葉に追いついてきただけなんやと思うで。