『PERFECT BLUE(パーフェクトブルー)』を観終わったあと、
多くの人がまず考えるのがこれやと思う。
「で、結局犯人は誰やったん?」
一見すると答えははっきりしてる。
でもな、この映画、
「犯人=この人です」だけで終わらせたら、
いちばん大事なところを見落とす作品でもある。
今日はそのへんを、
おじさん目線でゆっくり整理してみるで。
■ 表向きの犯人は誰なのか
物語の構造だけを追えば、
事件を引き起こしていた中心人物は、
未麻の身近にいた“ある女性”や。
彼女は、
・未麻を強く支えようとしていた
・未麻の変化を誰よりも近くで見ていた
・「理想の未麻像」を心の中で大切にしていた
この3つを同時に抱えていた存在やった。
つまり、
未麻を守ろうとする気持ちと、
未麻を縛る気持ちが、同時に存在していた。
ここがまず、この映画の一番怖いところや。
■ でも「個人」を犯人にすると、話が浅くなる
ここで一つ、
大事なこと言わせてな。
この映画、
「この人が悪い」で終わる話ちゃう。
もしそうやったら、
30年近く語られ続けてへん。
『PERFECT BLUE』のすごさは、
犯人を一人に固定せず、
もっと大きな構造を見せてくるところにある。
■ もう一人の“犯人”――過去の未麻
この映画にはな、
はっきり姿は見えるけど、
実体のない存在がおる。
それが、
**「アイドル時代の未麻」**や。
・いつも笑顔
・汚れない
・期待に応える存在
この“理想の未麻”は、
誰かが作ったもんやけど、
同時に未麻自身の中にも残ってた。
せやから、
未麻は自分自身に問い詰められる。
「ほんまにそれでええん?」
「そんなことする人やったっけ?」
この状態な、
犯人が外におるだけやなく、
内側にもおるってことや。
■ ファンという存在も、構造上の犯人
もう一歩踏み込むで。
この映画には、
はっきり名前のついた“ファン”が出てくる。
でもここで描かれてるのは、
特定の一人やなくて、
**「理想を押しつける視線そのもの」**や。
・こうあってほしい
・こうあるべき
・前のほうがよかった
これってな、
特別な人だけがやることちゃう。
無意識に、
誰でもやってしまう可能性がある。
つまりこの映画は、
「犯人は画面の中におる」
だけやなく、
「観てる側も安全圏ちゃうで」
って言うてくる。
■ 本当の犯人は「一人」やない
ここまでまとめると、
こう言えると思う。
・直接手を下した人
・理想を押しつけた人
・変化を許さなかった空気
・自分自身を追い詰めていった内面
これ全部が絡み合って、
あの出来事は起こった。
つまり『PERFECT BLUE』の犯人は、
**「個人」ではなく「構造」**や。
誰か一人を悪者にして終わらせへん。
そこが、この映画の一番大人なところやと思う。
■ だからラストの言葉が生きてくる
ここで、
あの有名なセリフにつながる。
「私は本物だよ」
これはな、
犯人を打ち負かした勝利宣言やない。
・誰かの理想
・過去の自分
・周りの視線
それら全部を受け止めたうえで、
「それでも今の私が私や」
と認めた言葉や。
犯人探しの物語やと思って観ると、
このセリフは軽くなる。
でも、
「誰が人を追い詰めるのか」という視点で観ると、
この一言が、ものすごく重たく、あたたかくなる。
■ まとめ:犯人を知ると、この映画は優しくなる
『PERFECT BLUE』は、
犯人を暴いてスッキリする映画ちゃう。
むしろ逆で、
「人はどうやって、
知らんうちに誰かを追い詰めてしまうのか」
を静かに見せる映画や。
せやから、
犯人が誰かを知ったあとに残るのは、
恐怖よりも、
自分への問いやと思う。
・誰かに理想を押しつけてへんか
・変わることを許せてるか
・自分自身を縛りすぎてへんか
そこまで考えさせられるから、
『PERFECT BLUE』は今も語られ続けてる。
犯人を知ることで、
この映画は怖くなるんやなくて、
ちょっとだけ優しく見えてくる。
そんな不思議な作品やで。
【追記考察】未麻はどこで立ち直ったのか
――実は「ある一点」から、もう戻り始めていた
『PERFECT BLUE』を観終わったあと、
こんなこと思わへんかった?
「未麻って、いつ立ち直ったんやろ?」
「ラストで急に強くなった感じせえへん?」
でもな、
未麻の立ち直りって、
ラスト一瞬で起こった奇跡やないと思うんよ。
実はもう少し前から、
じわじわ始まってた。
■ 完全に壊れた“あと”やない
まず大事なポイントな。
未麻は、
完全に壊れてから立ち直ったわけちゃう。
むしろ、
壊れきる直前で、ちゃんと踏みとどまってる。
ここ、よう見落とされがちやけど、
この映画、
「どん底からの大逆転」みたいな話ちゃうんよ。
未麻は最後まで、
どこかで「自分を見失いきってへん」。
それがわかる場面が、ちゃんとある。
■ 「私は誰?」から「私はここにいる」へ
物語の中盤、未麻はずっと
・私は誰なんや
・何が本当なんや
・どこまでが演技なんや
って状態になる。
でもな、
ある段階から少しずつ変わる。
「私は誰?」
じゃなくて、
「私は今、何をしてる?」
に意識が戻っていく。
これ、めちゃくちゃ大事な変化や。
人ってな、
自分を見失うときは、
だいたい「意味」とか「評価」とか、
頭の中に行きすぎてる。
立ち直るときは、
だいたい逆で、
「今ここ」に戻ってくる。
未麻も、まさにそれやった。
■ 女優として“役をやりきった”瞬間
未麻が立ち直り始めたポイント、
おじさんはここやと思ってる。
それは、
女優として、役を中途半端に投げ出さず、
ちゃんと最後まで向き合ったところ。
最初はな、
怖さや不安のほうが勝ってた。
「こんな自分でええんかな」
「こんな役、やるべきなんかな」
でも途中から、
未麻は逃げずに役と向き合う。
ここで未麻は初めて、
誰かに作られたイメージやなく、
自分の意思で“選んだ自分”を生きてる。
これが、
立ち直りの第一歩やと思うんよ。
■ 「過去の未麻」が弱くなっていく理由
映画の後半、
あの“理想の未麻”は、
だんだん力を失っていく。
これ、偶然ちゃう。
未麻が
・逃げずに現実に立ち
・自分で選択し
・自分の行動を受け止め始めた
からや。
幻ってな、
現実を直視し始めた瞬間、
弱くなる。
つまり、
未麻が立ち直り始めた時点で、
もう勝負は決まってたとも言える。
■ ラストの言葉は「結果」であって「始まり」やない
「私は本物だよ」。
この言葉、
立ち直ったから言えたんやなくて、
立ち直る過程をちゃんと通ってきたから、
自然に出た言葉やと思う。
急に強くなったわけちゃう。
急に自信満々になったわけでもない。
ただ、
・逃げなかった
・選んだ
・受け止めた
その積み重ねの先に、
あの一言があった。
■ まとめ:立ち直りは、派手やないほうが本物
未麻の立ち直りってな、
わかりやすい感動シーンちゃう。
ガッツポーズもない。
涙の演説もない。
でもな、
それがリアルなんよ。
人が立ち直るときって、
だいたいこんな感じや。
・少し現実を見る
・少し逃げるのをやめる
・少し自分で決める
その積み重ねの先に、
「私は本物だよ」って言葉がある。
せやからこの映画、
観る年齢やタイミングで、
未麻の見え方が変わる。
それってたぶん、
観てるこっちが、
同じように立ち直りながら生きてるからなんやろな。