『PERFECT BLUE(パーフェクトブルー)』のラスト。
大きなどんでん返しがあるわけでも、
感動的な音楽が盛り上がるわけでもない。
むしろ、拍子抜けするくらい静かや。
でもな、
観終わったあと、
なんやずっと胸の奥がざわざわする。
今日はその理由を、
「ラストは何を描かなかったのか」
という視点から考えてみたい。
■ あのラスト、実は“説明”をほとんどしてない
まず気づくのはこれや。
ラストシーン、
この映画はほとんど説明せえへん。
・これから未麻はどうなるのか
・仕事はうまくいくのか
・完全に安心できる状態なのか
そういうこと、一切語られへん。
普通やったら、
「その後」を描いて、
観客を安心させにくる。
でも『PERFECT BLUE』は、
あえて何も足さない。
ここが、この映画のラストの最大の特徴や。
■ ラストは「解決」やなくて「区切り」
多くの映画は、
ラストで“解決”をくれる。
問題が片づいて、
これからは大丈夫ですよ、って。
でもこの映画のラストは違う。
あれはな、
**解決やなくて「区切り」**なんよ。
・すべてが元通りになる
・不安が完全になくなる
そんなことは言うてへん。
ただ一つ、
「ここまで来た」
という地点を見せてるだけ。
人生でもそうやろ?
何かを乗り越えたと思っても、
全部終わるわけやない。
でも、
「一旦ここまで来たな」
って地点は、ちゃんとある。
ラストは、
その地点を切り取っただけなんや。
■ あの一言は「未来の保証」ちゃう
ラストで語られるあの言葉。
つい、
「もう大丈夫」
って意味に取りたくなる。
でもな、
あれは未来を保証する言葉ちゃう。
・もう迷わへん
・もう揺らがへん
そんな宣言やない。
あの言葉は、
「今この瞬間の自分」を確認しただけ。
未来のことまでは、
あえて言わへん。
だからこそ、
あのラストは現実に近い。
■ 観客を“置いていく”ラスト構造
もう一つ、
このラストが特別な理由がある。
それは、
観客が置いていかれる構造になってることや。
どういうことか言うと、
物語の中で、
未麻は一歩前に進んでる。
でも観客は、
そこに立ち会っただけで、
同じ場所には行けてへん。
つまり、
・未麻は「今の自分」に立った
・観客は「どうなるんやろ?」と思ったまま
このズレが残る。
普通の映画なら、
このズレを埋めにいく。
でも『PERFECT BLUE』は、
埋めへん。
この不完全さが、
ラストの余韻を生んでる。
■ 静かなラスト=現実の続き
この映画、
もしラストが派手やったら、
全部“フィクション”で終われたと思う。
でも、
あの静かさは違う。
「物語は終わったけど、
現実はまだ続いてるで」
そう言われてる感じがする。
つまり、
ラストは終わりやなくて、
現実への引き戻しなんや。
だから観終わったあと、
現実に戻った自分の感覚が、
ちょっとズレる。
それが、この映画の強さや。
■ なぜ後味が悪くないのか
不思議なことに、
このラスト、
重たいのに後味は悪くない。
それはな、
誰かが完全に救われたからやなくて、
「自分で立つ姿」が描かれたからやと思う。
依存も、
奇跡も、
劇的な救済もない。
ただ、
自分の足で立ってる姿がある。
それだけで、
十分やと思わせてくれる。
■ まとめ:ラストは“完成”を拒否している
『PERFECT BLUE』のラストは、
・物語を完成させない
・安心させすぎない
・答えを渡さない
その代わりに、
・考える余地
・余白
・現実との地続き感
を残して終わる。
せやから何年経っても、
「ラストどう思う?」
って話題になる。
完成されたエンディングやなく、
考え続けさせるエンディング。
それが、
『PERFECT BLUE』のラストなんやと思うで。
【追記考察】あのラストはハッピーエンドなのか?
――答えは「はい」でも「いいえ」でもある
『PERFECT BLUE』のラストを観て、
こう思う人、多いはずや。
「これって、ハッピーエンドなん?」
「なんかスッキリせえへんけど…」
結論から言うとやな、
この映画のラストは、
いわゆる“わかりやすいハッピーエンド”ではない。
でもな、
だからといって、
バッドエンドでもない。
このあいまいさこそが、
『PERFECT BLUE』らしさなんよ。
■ 幸せになったかどうかは、描いてない
まず大前提として、
この映画はラストで
・成功した
・満たされた
・安心して暮らしている
そういう「結果」を一切描いてへん。
つまりな、
幸せかどうかを判断する材料を、
あえて渡してへん。
普通の映画なら、
ここで観客を安心させにくる。
でもこの作品は、
そこをやらへん。
それだけで、
「これはハッピーエンドです!」
とは言い切れへんよな。
■ でも「不幸」では終わってへん
ほな逆に、
バッドエンドかというと、
それも違う。
なぜか。
未麻はラストで、
誰かの言葉を借りずに、
自分の立ち位置を確認してる。
逃げてもないし、
誰かにすがってもない。
それってな、
かなり大きな前進や。
人生で考えたら、
これって十分“良い状態”やと思わへん?
■ このラストは「幸福」より「自立」を描いてる
おじさんはな、
このラストをこう捉えてる。
これは
**ハッピーエンドかどうかを描いたラストやなく、
「自分の人生を自分で引き受け始めた瞬間」**を描いたラストや。
幸せってな、
外から見て決めるもんちゃう。
・うまくいってる
・評価されてる
・順調そう
そういうもんより、
自分の足で立ってるかどうか。
その意味では、
未麻はちゃんと立ってる。
せやからこのラスト、
静かやけど、前向きなんよ。
■ なぜスッキリせえへんのか
それはな、
観てる側が
「安心させてもらう立場」から
突き放されてるからや。
この映画、
最後まで観客に寄り添いすぎへん。
「どう感じるかは、あんた次第やで」
って言われてる。
それが、
モヤっとする理由であり、
忘れられへん理由でもある。
■ 大人になってから気づく“ええ終わり方”
若い頃は、
もっとわかりやすい答えが欲しくなる。
でもな、
歳重ねるとわかってくる。
人生って、
ハッピーエンドなんて
そう簡単に決められへん。
それでも、
「今の自分を受け入れて、
明日に行けるかどうか」
それができてたら、
だいぶええ状態や。
『PERFECT BLUE』のラストは、
まさにそこを描いてる。
■ まとめ:このラストは「余白のある肯定」
この映画のラストは、
・完全な安心もない
・完全な絶望もない
その代わりに、
・自分で立っている姿
・これからを生きる余白
が残ってる。
それを
ハッピーエンドと呼ぶかどうかは、
観た人次第や。
でも少なくとも、
希望がない終わり方ではない。
静かで、不器用で、
ちょっと現実的な、
大人向けのエンディング。
それが、
『PERFECT BLUE』のラストなんやと思うで。