「気まずい…」と感じたあなたは、間違ってない
パーフェクトブルーを観て、
こんな感想を持った人、正直多いと思う。
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一人で観てても気まずい
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誰かと一緒に観ると、もっと気まずい
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劇場で静まり返る感じがつらい
ホラーみたいに「怖っ!」って盛り上がるわけでもない。
感動して拍手、みたいな空気にもならない。
ただただ、
場の空気が重い。沈黙が続く。
この「気まずさ」、
実はこの映画の一番の特徴かもしれへん。
なぜパーフェクトブルーは“気まずい”のか
まずはっきり言うとくと、
これは偶然やない。
狙って作られてる気まずさや。
理由①
観てはいけないものを見ている感覚がある
この映画、
こっちが勝手に覗いてる気分になる場面が多い。
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本人の弱さ
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心が追い込まれていく様子
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誰にも見せたくない部分
それを、
カメラが容赦なく映す。
だから観てる側は、
途中からこう思う。
「これ、見続けてええんかな……」
この後ろめたさが、
気まずさに変わる。
理由②
盛り上がる“逃げ場”がない
普通の映画やと、
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笑いどころ
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分かりやすい山場
どこかで一息つける。
でもパーフェクトブルーは、
そういう“逃げ場”をほぼ用意してへん。
緊張したまま、
ずっと座らされる。
誰かと観てると特に、
「今、どんな顔したらええんやろ」
「リアクション取られへん…」
そうなって、気まずくなる。
理由③
感情を共有しにくい映画やから
この映画、
観終わってすぐに感想を言い合いにくい。
「怖かったな!」
「面白かったな!」
こういう一言で済まへん。
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なんとも言えん
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しんどかった
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よう分からんけど残ってる
この言語化しにくさが、
人との間に沈黙を生む。
結果、気まずい。
実はその「気まずさ」こそが核心
ここが大事なとこや。
パーフェクトブルーは、
観客を“安全な立場”に置かへん映画や。
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見る側
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消費する側
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評価する側
その立場に安住させずに、
「お前も、この空気の一部やで」
って引きずり込む。
せやから、
気まずくなる。
今の時代だから、さらに気まずい
今は特にやな。
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誰かを簡単に評価できる
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他人の人生を覗くのが当たり前
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炎上も消費も一瞬
そういう時代やからこそ、
この映画の空気が刺さる。
「あ、俺らも似たことしてへんか?」
そう思わされた瞬間、
スクリーンと自分の距離が一気に縮まる。
それが、
言葉にできん気まずさになる。
気まずい映画=ダメな映画、ではない
ここ、誤解されがちやけどな。
気まずい=失敗
やない。
むしろ、
観る側を黙らせる映画って、
そうそう無い。
観終わって、
誰もすぐ立たへん。
エンドロールが終わるまで、
なんとなく席を立てへん。
あの空気を作れる映画は、
正直めちゃくちゃ強い。
まとめ
その気まずさは、ちゃんと意味がある
「パーフェクトブルー 気まずい」
この感想は、
この映画にとって最高の褒め言葉かもしれへん。
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見てしまった
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感じてしまった
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でも簡単に言葉にできへん
その状態こそ、
この作品が狙った場所や。
楽しくもない。
スッキリもしない。
でも、忘れられへん。
それが、
パーフェクトブルーという映画やと思うで。
追記|「誰と観るか」で印象が変わりすぎる映画
『PERFECT BLUE(パーフェクトブルー)』は、
誰と観るかで感想が真逆になる映画でもある。
これは作品の完成度が高いから、という理由だけじゃない。
この映画が映し出しているのは、
スクリーンの中の霧越未麻だけじゃなく、
一緒に観ている“自分たちの関係性”そのものだからだ。
恋人と観ると、やたら気まずい
恋人と一緒に観ると、
正直かなり空気が重くなる。
あの視線。
あの沈黙。
「あ、今どんな顔して観てるんやろ…」っていう意識。
エロでもグロでもないのに、
心を覗き合ってしまったような後味が残る。
特に、
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相手を「どう見ているか」
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無意識に期待している役割
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表では言わない本音
そういうものが、
映画を通して浮き彫りになる。
だから感想を言おうとしても、
言葉が軽くなるか、黙るしかなくなる。
この映画は、
「仲がいいかどうか」じゃなく
「本音を共有できる関係かどうか」を
静かに試してくる。
友達と観ると、価値観の違いが出る
友達と観た場合は、
感想が割れる。
「怖かった」「意味わからん」
「めっちゃ面白かった」「考察したくなる」
ここで面白いのは、
どこを“怖い”と感じたかで人間性がにじむこと。
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暴力が怖かった人
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精神が壊れていく描写が怖かった人
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現実と妄想の境目が怖かった人
同じ映画を観ているのに、
刺さる場所が全然違う。
『PERFECT BLUE』は、
ホラー耐性じゃなく
「自分の内面と向き合えるかどうか」を測る映画やと思う。
一人で観たときが、いちばん正直
正直に言うと、
この映画は一人で観るのがいちばんいい。
誰にも気を使わず、
誰の視線も感じず、
ただ自分の中に湧いてくる違和感と向き合える。
観終わったあと、
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なんでしんどかったんやろ
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どこが引っかかったんやろ
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自分は何に怯えてたんやろ
そう考え始めた時点で、
もうこの映画に“捕まっている”。
だからこの映画は、
「みんなでワイワイ観る作品」じゃない。
自分の心の奥に、そっと触れてくる映画や。
気まずさの正体は「見せたくない自分」
『PERFECT BLUE』を誰かと観て気まずくなるのは、
映画のせいじゃない。
自分の中にある、見せたくない部分を
相手に見られた気がするからやと思う。
だから、
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仲のいい人ほど気まずい
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距離が近い人ほど黙ってしまう
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感想が浅くなってしまう
それは逃げじゃなく、
自然な反応。
この映画は、
観客に「感想」を求めてない。
ただ、
「あなたはこれをどう感じた?」
と、心の奥に問いを置いていくだけや。