映画『アデル/ファラオと復活の秘薬』を観たあと、
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原作はあるの?
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映画オリジナル?
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原作と映画で何が違うの?
と気になった人は多いと思う。
結論から言うと、
この映画にはしっかりした原作がある。
ただし、映画は原作をそのまま映像化した作品ではない。
原作はフランスの人気コミック『アデル・ブラン=セック』
『アデル/ファラオと復活の秘薬』の原作は、
フランスの漫画家 ジャック・タルディ によるコミックシリーズ。
原作タイトル
『Les Aventures extraordinaires d’Adèle Blanc-Sec
(アデル・ブラン=セックの奇想天外な冒険)』
1976年から発表されている長寿シリーズで、
フランスではカルト的な人気を誇る作品や。
映画は「1巻だけ」ではなく、複数巻をミックスしている
ここが一番誤解されやすいポイント。
映画『アデル/ファラオと復活の秘薬』は、
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原作1巻を忠実に映画化
→ ❌違う -
完全オリジナル
→ ❌違う
**複数の原作エピソードを再構成した“映画版アデル”**や。
主に影響を受けている原作要素
つまり映画は、
原作の「素材」を使って、新しい一本の冒険譚を作っている。
映画と原作の大きな違い①:アデルの性格
原作のアデル
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皮肉屋
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冷笑的
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ブラックユーモアが強い
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どこかニヒリスティック
正直、かなりクセがある。
映画のアデル
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行動力があり
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明るく
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ヒロイン性が強い
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観客に感情移入しやすい
映画版は、
原作よりもかなりマイルドに調整されている。
これは大衆向け映画としての判断やね。
映画と原作の大きな違い②:物語のテンポとトーン
原作は、
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淡々としている
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展開が急に飛ぶ
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説明不足も多い
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不条理さが前面に出る
良く言えばアート寄り、
悪く言えば読者を選ぶ。
一方、映画は、
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冒険活劇として整理され
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ユーモアが増し
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テンポが良く
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エンタメ性が高い
映画はかなり「親切」な構成になっている。
映画と原作の大きな違い③:怪奇要素の扱い方
原作では、
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なぜそんなことが起きるのか
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説明されないまま進む
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不気味さが残る
という場面が多い。
映画では、
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ビジュアル重視
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ファンタジーとして処理
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怖さより楽しさを優先
結果として、
原作の不穏さは薄まり、冒険映画寄りになった。
ここは好みが分かれるところ。
原作者は映画化をどう見ている?
原作者ジャック・タルディは、
映画版について「完全再現」を求めていなかったと言われている。
むしろ、
原作の精神を使って、
映画として自由にやってほしい
というスタンス。
だからこそ、
リュック・ベッソンによる映画版は、
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原作ファンから賛否両論
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でも否定一色ではない
という評価になった。
原作を読んだあとに映画を観ると、見え方が変わる
原作を知ったうえで映画を観ると、
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なぜアデルが恋愛を主軸にしないのか
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なぜ感情表現が抑えめなのか
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なぜ世界観が少しズレているのか
が、すっと腑に落ちる。
映画は「入り口」として、
原作は「本質」を味わうもの。
そう考えると、
この作品の楽しみ方が広がる。
まとめ:映画は原作の“翻訳”ではなく“再解釈”
『アデル/ファラオと復活の秘薬』は、
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原作を忠実に再現した映画ではない
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かといって、原作無視でもない
原作のエッセンスを使った、映画的再解釈や。
原作のクセの強さを知ると、
映画の「少し不思議で掴みきれない感じ」も、
むしろ魅力に変わってくる。
原作と映画、どちらから触れるべきか
──『アデル/ファラオと復活の秘薬』のいちばん楽しめる入口
『アデル/ファラオと復活の秘薬』を調べていると、
必ずぶつかるのがこの疑問。
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原作コミックから読むべき?
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それとも映画を先に観るべき?
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どっちが正解?
結論から言うと、
**どちらが“正しい”かではなく、どちらが“向いているか”**で答えが変わる。
① 映画から入るのがおすすめな人
まず、多くの人にとっては
映画から入るのが無難でおすすめ。
理由はシンプル。
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世界観が整理されている
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キャラクターが掴みやすい
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テンポがよく、入り口として親切
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アデルという人物像が理解しやすい
映画版は、
原作のクセをうまく削ぎ落とした「導入編」や。
特に、
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フランス作品に慣れていない人
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不条理・ブラックユーモアが苦手な人
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純粋に冒険映画として楽しみたい人
こういう人には、
いきなり原作は正直しんどい可能性が高い。
② 原作から入るのがおすすめな人
一方で、原作から入った方がハマる人も確実にいる。
例えば、
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フランス漫画が好き
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バンド・デシネ(BD)に抵抗がない
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物語の不親切さを楽しめる
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ヒロイン像に“癖”がある方が好き
こういうタイプの人には、
原作アデルの方が圧倒的に刺さる。
原作のアデルは、
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可愛げがない
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共感を求めてこない
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皮肉と距離感で生きている
映画版よりもずっと冷たく、
その分だけ強烈な存在感がある。
③ 映画→原作の順が「いちばん後悔しにくい」
もし迷っているなら、
おすすめの順番はこれ。
映画 → 原作
この順番なら、
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映画で世界観と人物を把握
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原作で「本来のアデル」を知る
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映画のアレンジ部分にも納得できる
逆に、
原作 → 映画 の順だと、
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「思ってたアデルと違う」
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「映画、丸くなりすぎやろ…」
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「毒が足りない」
と感じる可能性が高い。
これは映画が悪いのではなく、
原作の個性があまりにも強いから。
④ どちらも「アデル」だが、同じ人物ではない
大事なのはここ。
映画のアデルと原作のアデルは、
同一人物でありながら、同じ存在ではない。
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原作アデル:作者の皮肉と時代精神を背負った存在
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映画アデル:観客と冒険するために再構築された存在
どちらが上、という話ではない。
用途が違う。
⑤ 「映画が合わなかった人」ほど原作を試してほしい
面白いのはここで、
映画は微妙だった
でもなぜか印象に残っている
という人。
このタイプの人ほど、
原作を読むと評価が一変することがある。
映画で感じた違和感は、
実は原作由来の“ズレ”や“不穏さ”。
それが原作では主役になる。
結論:入り口は映画、深掘りは原作
まとめると、
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迷ったら → 映画から
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アデルという人物をもっと知りたい → 原作
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不思議な余韻の正体を知りたい → 原作
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軽く楽しみたい → 映画
『アデル/ファラオと復活の秘薬』は、
一本で完結する作品ではなく、
映画と原作の“往復”で完成するタイプの物語や。
だからこそ、
どちらから入っても「間違い」ではない。
ただ、
自分のタイプに合った入口を選ぶ
それだけで体験の質は大きく変わる。